総村スコアブック

総村悠司(Sohmura Hisashi)の楽曲紹介、小説掲載をしています。

小説『Sum a Summer =総計の夏=』(4/5)

第四章 『7月4日(金)』

 

 朝起きて、台所に顔を出す。
 しかし、いつもなら食卓で新聞を広げている父の姿がない。昨日は母がいなくて、今日は父がいない。何だか、ちぐはぐな感じだ。
 「あれ? 父は?」
 「もう出かけたわよ」振り返った母親の手には、洗い掛けの父の茶碗があった。
 「仕事の内容の説明資料作りとか、相手の会社のやり方を憶えたりとか、やることは山ほどあるみたい」
 「そうか。大変だな……」
 父にとっては、再び地道な仕事の日々が始まったのだ。今後、再び日の目を見る可能性が必ずしもあるわけではないだろう。それでも今やれることがあるなら、それをやるのみ。既に空席となった父の椅子からそんなメッセージを送られた気がした。

 登校して間もなく、職員室に向かった。
 会うべき人物は、数学の丹治延登先生または英語の石井英美先生だ。両者とも、大矢高校の部活担当教務である。
 入口付近で伺うと、石井英美先生の姿が見えた。
 石井英美、36歳独身。幼少時代をアメリカで過ごしたバイリンガルである。ただし、日本語の話し方がどうにも英語の直訳のようで不自然な感じがする。そして、どうでもいいことだが、アメリカでは「エイビ・イシイ」と呼ばれていたらしい。
 「石井先生、おはようございます」
 「グドゥモーニン。えーと、キミは確か一組の……」
 「はい、瀬田桂夜です」
 名前を憶えられているのは、恐らく以前授業中に「おいおい、速すぎだろっ!」と叫んだ変わり者だからだろう……。今、思い出してもヒヤヒヤする。
 「私は、考えています。それは、授業とは、教師から生徒への一方通行ではないということです。それは、共同作業です、生徒と教師による。それゆえに、キミの積極的なィクスプレッションは、非常に重要です」
 「は、はい」
 「私は、キミに一つ要望があります。私は、真面目にノートを取ることよりも、ワタシの顔を見て意思のキャッチボールがすることのほうを嬉しいと感じます」
 石井先生すみません。それ、下向きながら寝てるんです……。僕が、中学生の時に編み出した、寝ながらもペンを動かすって言う技なんです……。当然言えるはずもなく、愛想笑いを浮かべるしかない。
 「実は、部活のことで相談がありまして」
 「OK」
 「部活を合併することは可能でしょうか?」
 「ガッペイ? それは、mergerのことを意味していますか?」
 「マージ……あ、あぁ多分そうです」
 そう。僕が考えた作戦とは、部活と部活の合併だった。部員の移籍に関しては、生徒会則で期間が限定されてしまっているが、部活という組織自体には特に取り決めがない。
 詭弁といわれればそうかもしれないが、生徒会の意見である『3人部員がいなければ一部不適格』というものも明言されているわけではない。眼には眼を、歯には歯を、だ。
 卓上にある『Club Activity』という背表紙のファイルを開き、石井先生はしばし考え込む。そして。
 「ふむ、部活をガッペイすることは恐らくノープロブレムでしょう。両部活の全員が合意する必要があるでしょう、しかしけれども、クラーブアクティビティは基本的に生徒の自治です。あなた方は、ガッペイを成し遂げることができるでしょう」
 よし! 教師サイドのお墨付きをもらえたのはいい感じだ。順調といえる。
 「私から話をします。ティーチャー丹治には」
 「ありがとうございます」
 石井先生にお礼を言って、職員室を後にした。あとは、放課後の交渉を待つばかりだ。

 放課後。僕はサーバールームに足を向けた。会うべき人物は、電算研究部のサイズワくんだ。
 僕の探していたのは、『第二部で、部員が一人ないしは二人で構成され、将棋部とくっついてもなんとか言い訳が立ちそうな文化系部活』だった。
 昨日、大矢高校の公式ウェヴサイトを確認したところ、丁度その条件に当てはまる唯一の部活が電算研究部だったのだ。
 正式な部室でないここにサイズワくんがいるとは限らないが、他にいそうな場所を知らない以上ここを訪ねるのが一番接触をしやすいと考えた。
 サーバールームに到着し、インターフォンを押すと先日のように大江室長が出る。
 「すみません、サイズワくんって今日来てますか?」
 「おお、おるが?」
 これは、幸先がいい。先日と同じ要領で部屋に入る。サイズワくんは部屋の隅で細かな部品に囲まれていた。
 話によると大江老人の個人パソコンとのこと。修理方法が分かっているのに、修理工場で金を払ってやってもらうのは癪に触るとこぼしていたら、サイズワくんが名乗りを上げたのだという。
 「歳をとると細かい作業ができんくなってのう。助かるわい」
 「じっちゃん、NICは?」
 「おぉ。2つのセグでそれぞれボンディングするゆえ、4つ頼むぞい」
 「ぅぃ」
 大江老人の知識もすごいが、それと対等にやりとりできているサイズワくんも大したものだ。もし一緒になれたら、僕も色々と教えてもらおうかな。これからの時代はITスキルは大事だって父も言っていたし。
 「サイズワくん、あとで手が空いてきたら話したいことがあるんだけど、いいかな?」
 「ん? 今でもぃぃぜぇ? 機械的な作業だし」
 「あ、そうなんだ。えーと、まず順を追って話すと……」
 僕は、昨日の夜から組み立ててきた話をサイズワくんに話し始めた。

 話し終えてしばらく経つ。しかし、サイズワくんは相変らず手許をせわしなく動かし続けている。
 果たして、もう答えは決まっているのだろうか。「で、どうかな?」と答えを催促しようと思っていると、丁度ドライバーを床に置きこちらを向いてくれた。
 しかし、答えは無常にも「その話、悪ぃが遠慮しとくょ。ょりにょって将棋だしなぁ……」
 あっさり断られてしまった。
 ノートパソコンがあれば、彼がやりたいことは今までどおりできるはず。部室があれば、堂々と活動できるし、場合によっては予算の恩恵に与れる可能性だってある。
 部活の名前や所属が変わってしまうが、彼にとって悪い話ではないと思ったのだが……。やはり、今時の高校生に『将棋』はNGだったか……。自分も「将棋なんて……」と思っていた時期があっただけに、彼を強く説得しようという気持ちが芽生えてこなかった。
 今日は美月も呼んでしまったし、仕方がないので、部室に戻ることにした。満点の結果ではないが、部活合併作戦自体はまだ余地があるだろうからその報告だけでもしておこう。
 僕は静電靴をロッカーにしまい、色々と対応してくれた大江老人に礼を言う。
 「すまんの瀬田くん」
 「いえいえ、俺が勝手に無理言ってただけですから」
 その瞬間、大江老人の肩越しに見えていたサイズワくんの顔色が変わったのがはっきりと見えた。
 「……セタ? もしかして……。瀬田桂夜か!?」
 サイズワくんはわざわざ立ち上がり、こちらに歩み寄ってくる。その態度に、少し戸惑いながらも僕は「そ……うだけど?」と答える。
 「将棋部の合併の話、受けょぅ」
 「ほ、本当に?」突然の展開に、お礼を言おうと思っていたのだが――
 「ぁぁ、ただし……ぉれに勝負で勝てたらな!」
 大仰に親指を自身の顔に向けて、そう言い放ってきたではないか。
 一体、どういう心境の変化だろう。あまりに唐突に変わった表情と口調についていけていない。
 戸惑う僕を見て、サイズワくんは楽しそうにクックッ……と笑っている。
 「ぁの分厚い眼鏡はゃめてコンタクトにしたのか? 自分のことを『僕』って言わなくなったんだな。ぉかげで全然気づかなかったょ」
 「っ……! なんでそれを!?」
 中学に入ったときにコンタクトに変えて、高校に入ったときに自分のことを『俺』と呼ぶように変えた。それは、過去の自分を捨てるため。誰にも明示的に言った憶えは無い。
 それが分かるとしたら、小学生の僕を知っている人物しか……。
 「そっちは憶ぇてなぃだろぅが、ぉれも将棋をやってぃたんだよ。ぁの大会までな……」
 「あの大会?」
 「江辻が優勝し、キミが3位だったあの大会だょ」
 あの大会……、サイズワ……トオル、斎諏訪……徹!
 脳内で音の響きが漢字に変換されたことで、記憶がやっとフラッシュバックした。
 僕が一時期将棋をやめるきっかけになった将棋大会の3位決定戦の対戦相手じゃないか。
 「ぉれは当時からいち早くコンピュータを駆使し、様々な独自研究を行ってぃたんだ。将棋は二人零和有限確定完全情報ゲームだ。完全なる答えを出すのは難しぃにしても、序盤を圧倒的に有利に進められると踏んでぃた。自信満々だったょ。実際、準決勝までは楽勝だった」
 「……」
 斎諏訪はそこで一旦そこで話を切り、唇を湿らせる。僕は、もちろんその後の勝敗の結果を全て知っている。
 「ぁとはキミも知る通りだ。怪物・江辻にぁしらわれ、せめて3位と思って戦った相手にぉれは二度やられたわけだ、心ここにぁらずの奴にな!」
 「……」
 既に春、あのときの苦い記憶は払拭したはずなのに、頭の奥にじわりと滲んでくるものがあった。
 将棋で負けることは悔しい。自らの口で負けを宣言しなければならないと言う暗黙の掟があるかもしれない。本気で、真剣にやっている者ほど負けたときの悔しさは強くなる。勝ったときの記憶より、負けたときの記憶の方が強く、強く刻まれる。そして、それは長き時間を掛けてか、より強い勝利体験によってしか和らげることができないのだ。
 「そして今、ぉれのトラウマを解消する絶好の機会が訪れた、とぃぅわけだ。と一方的に話を進めたが、まさか逃げなぃょな? 心は起きてぃるか?」
 その言葉に、僕は覚醒した。
 「勝負って、具体的には何を?」
 元より、将棋部存続のためには無駄でない勝負だ。それが、過去の因縁に絡むものであれば、もはや避ける理由はない。
 受諾した僕をみて、斎諏訪は眼鏡のブリッジをすっと上げながら不敵に笑う。
 「ぉれの作ったプログラムと勝負してもらおぅか」
 「プログラム?」
 「そぅだ。ぉれが将棋を捨てて3年間。その間に磨き上げたスキルがプログラミングなんだ。文句はなぃだろ」
 「まぁ、そうだな」
 すっかり、ぉれも3年間将棋を捨てていたことを言い逃してしまった。いや、言う必要はなかったと思い直す。もう、そのことには後悔をしていないからだ。
 「そぅだな……単に指し将棋とぃうのも興がなぃか」
 斎諏訪が妙なことを言い出す。しばし考え込んだかと思うと、三本の指を立ててこちらに突きつけてきた。
 「三本勝負はどうだ?」
 「三本勝負?」
 「詰将棋作り、詰将棋解き、指し将棋だ。もちろん、指し将棋はキミとの勝負だ。部員があと一人、顧問もぃるんだろ? 残りの二つは、どちらか好きに割り振ればぃぃ」
 「ま、待て。話が急すぎ――」
 「部員が2人で第一部に存続できてるくらぃだ、少数精鋭揃ぃなんだろ?」
 明らかに暴論だが、有無を言わさぬ勢いで捲くし立てられて、反論の機会を見出せなかった。
 「ただし、本命の指し将棋の前に2勝で終わり、じゃ意味がなぃ。よって、勝ち星をこぅしよぅじゃなぃか」
 手許のノートパソコンになにやらカタカタと打ち込み、画面をこちらに向けてくる。
 

図_星取表

図_星取表

 
 「簡単に言えば、キミが勝ち、詰将棋勝負のぃずれかで勝たなぃと将棋部は勝ちにならなぃ、とぃうことだ」
 「む……」
 随分と足許を見られた条件に言葉を失う。とはいえ、電算研究部と合併する機会が生まれたことは歓迎だ。正直なところ、部員を増やすための次善策が今無い状態なのだから。
 「わかった。それぞれの詳細を詰めようじゃないか」
 そして、次のように詳細を決め、合意に至った。
 
 (1)詰将棋作り
  10分の制限時間の間に、より詰め手数の多い問題を作ったほうが勝ち。
  勿論、詰将棋の前提条件を満たしていない場合は失格とする。
  
  事前に問題を考えて来られないように、作成に使える駒は作成の直前に目隠し状態で駒を一掴みして決める。
 
 (2)詰将棋解き
  詰将棋作りで作った2つの問題を早く解いた方が勝ちとする。
  電算研究部は開始の合図の後、問題を入力開始すること。
  将棋部は開始の合図の後、すぐに解き始めてよい。
 
 (3)指し将棋
  先手・後手は当日振り駒で決める。
  メンツは、将棋部は瀬田桂夜、電算研究部は斎諏訪徹で固定とする。
  また、(1)(2)で将棋部が2敗した場合も勝負は執り行うこととする。
 
 (4)その他
  勝負は7月7日の月曜日、放課後。場所はサーバールーム事務スペースにて。
  当日、大江澄輝専門員を立会人とする。
  将棋部は(1)(2)のメンツを当日変更することができることとする。ただし、大矢高校将棋部員または大矢高校将棋部顧問の範囲に限る。
  電算研究部は作成済みプログラムを『臨時部員』として扱う。
  電算研究部は勝負前に大江専門員にプログラムを提出し、以後コードの改変を行わない。

 (3)の指し将棋勝負は必ず行うようにする、というのは斎諏訪の強い意向だった。先程までの『絶好の機会』云々の話からすれば当然の話だろう。
 それに対して、僕はうまいことメンツを変更できる算段を取り付けた。これは、僕一人で全てのカタがつけられるようにするためだ。美月や泉西先生が積極的にこういった勝負にのってくるとは考えづらいし、棋力的にも不安を感じてしまう。なにより、個人的な理由が勝負の始まりであり、本来無関係な面々を巻き込みたくないという気持ちが強かった。

 「さて、諸々決まったところで準備を始めさせてもらぅぞ。時間は貴重だからな」
 「準備?」
 「将棋は捨ててぃた、と言ったろ? 今から作りはじめるんだょ。3つ作らにゃならんからな……」
 「……!」
 てっきり、既に母体があってそれをチューニングするだけなのだと思い込んでいたので唖然とする。プログラムって、そんなに簡単に作れるようなものなのか?
 しかし、今は斎諏訪の心配をしているような状況ではない。こちらは、指し将棋と、詰将棋勝負で勝ち星を拾えるような策を考えなければならないのだ。
 特に詰将棋勝負の方は、正確に高速な演算ができるコンピューターの方が圧倒的に有利だから、何かしら対策が必要となるだろう。
 サーバールームから出ると、改めて一抹の不安にじわりじわりと襲われる。
 
 僕は、とりあえず部室に向かうことにした。
 昨日、美月と電話した時のことを思い出して、自然と足取りが重くなる。いかにも自信があるような表現をしてしまっていたからだ。
 もっと、交渉力があったら良かったのだろうか? いや、今あれこれ考えても後の祭だとは頭では分かっているつもりなのだが。
 部室のドアの前に立つ。口に溜まった唾をゴクリと飲み込む。
 ガラガラ……とドアを開けると、美月は約束どおりいてくれた。
 「や……やぁ」
 「で、どうだったの?」
 なんとも単刀直入だ。
 「一応順調だよ。来週の月曜日に詰めの話をする予定だから、もうちょっと掛かりそう」
 「ふーん」
 一応、心の準備はしていたので言葉は淀みない。あとは演技力だ。
 「あのさ」美月は僕の顔をじっと見つめてくる。
 「『もっと誰かを頼れ、利用する気持ちを持て』って誰のセリフだったっけ?」
 「……!」
 どうやら、女性の第六感というやつを少し甘くみすぎていたようだ。それとも、僕の演技力不足なのだろうか。何か、反応を、反論をしなければ隠し通せないのに、視線を合わせることができない。
 「……悪い。力を貸してほしいことがある」
 結局僕は、今朝の石井先生との話から斎諏訪との勝負の話までを伝えることにした。
 「そこでだ。美月には詰将棋の解く方で参加して欲しいんだ」
 美月は、毎日知識をインプットし直さなければならないという問題があるが、演算の速度は通常のニンゲンの域を超えている。本人に言うと嫌がるかもしれないが、それこそコンピュータのようなものだ。
 詰将棋のようにゴールがはっきりと定まった問題への解答は、恐らく僕よりも早く出せるのではないかという期待をしている。
 3戦のうち、まずは詰将棋の方でなんとか1勝しなければならない。詰将棋作りの方は勝てれば勿論ありがたいに決まっているが、はっきり言って「捨て」でいいと考えている。僕が兼任して、将棋入門の本に出てきそうな簡単な詰将棋を作ってしまうつもりだ。
 「参考になるか分からないけど、これ」
 僕は、カバンから詰将棋の本を取り出し、美月に差し出す。今日はそれを黙って受け取ってくれた。
 
 このとき、僕は一つ重要な過ちを犯していた。それは、作戦会議を『まめしば』などの学外で行わなかったことだ。
 学外ならば、ほぼ確実に美月とマンツーマンで作戦会議が進められたのだ。それを怠ったツケがたった今、訪れた。
 「ハロー。波浪注意報! やぁやぁ諸君、活動しまくってるかね?」
 何故、教育委員会はこの人に教員免許を与えてしまったのだろうか。大矢高校七不思議のひとつの枠を悠々と埋めている人物、泉西先生の闖入だ。
 これは、まずい。この大事な勝負に、絶対、この人を巻き込みたくない。この『巻き込みたくない』は泉西先生に対する思いやりではなく、あくまで僕個人の利己的な思いであることは言うまでもない。
 春の仮入部以来、泉西先生からは国語の知識以上に様々なトラブルを(予想通り)頂戴してきた。
 駒の動かし方さえ理解してないのに「将棋は畳が無いと始まらん!」などと訳の分からない理屈をこねて、格技室から畳を無断で拝借し、柔道部と剣道部から怒鳴り込まれたり。
 盤が汚いから、と水洗いして金曜日に放置。月曜日に見てみたら、キノコが生えていたり……。
 「ど、どうも泉西先生」
 「なんだよなんだ? 駒も並べずに将棋部かー? もしかして、透明な盤と駒を使っているとかか? バカには見えない駒なのか?」
 「そういうわけでは……」
 つい、「はい、つまり泉西先生には見えないんです」と心に浮かびそうになったのを必死でこらえ、急いで「夕食はカレーがいいなぁ」というイメージを強く心に描く。幸か不幸か、徐々に読心術に対する抵抗力が身についてきているようだ。
 「それより、見ろよ諸君。今日の和服、どーよ?」
 言われて見ると、確かに普段のくたびれた和服ではなく、生地も柄もしゃんとしたものを着ている。
 「今までのは親父のお下がりなんだよね。これ、奮発して買ったんだぜい」
 泉西先生は非常にご機嫌だ。きっと、普通の生活を送れている羨ましい大矢高校生達にしてみれば、その違いは言われないと微かにも分からないだろうが、僕は分かるようになってしまってきている。
 美月といい、もしかして人の僅かな表情や気分を察する能力が高まってきているのかもしれない。
 泉西先生は「さて、他の生徒どもに見せびらかすべく、校内を用もなくうろついてみるかなー」と呟きながら、踵を返した。これはありがたい。
 と。
 「――そういや、パソコンはもらったのか?」
 僅かに油断したところで、不意に振り返り、そう言われて僕は動揺してしまった。パソコンのキーワードで、さっきのやりとりが頭の中にフラッシュバックしてきてしまう。
 何か、弁明をしなければと思ったたが、時すでに遅し。
 「なんだよー。面白そうなことに巻き込まれてるじゃねーかよ。俺にもカッコつけさせろっ」
 そもそも作戦的には、詰将棋解き(美月)と指し将棋(僕)で1勝ずつする路線で考えていたため、詰将棋作りが空いているといえば空いているのだが……。
 泉西先生は近くにあった箱を空け、将棋の駒を盤の上に転がした。
 「瀬田。安心しろ。俺は、実に意外な才能も持っているのだ!」
 そういって、泉西先生が見せてくれた技に僕は少し驚いた。
 なるほど、これなら少し作戦の立てようもありそうだ。もしかしたら、詰将棋作りでも勝利を得られるかもしれない……。

 夕食後、リビングで来週月曜に迫った決戦に向けた作戦を練っていると、母がリビングにやってきた。手にはやはりピーナッツ入りの容器だ。
 今日はどうやらサスペンスもののようだ。題字に〈金の砂時計 ~前編~〉というテロップが現れた。
 ストーリーが進むにつれ現れる登場人物を見ると、結構豪華なキャスティングのようで、僕も知っている俳優が何名かいた。テレビ好きの母なら全員知っている可能性もある。
 部長として慎重かつ大胆な作戦を考えようとするものの、ついついテレビの方に意識がいってしまう。
 舞台は絶海の孤島に建つ豪奢な館。そこに住む館主が白昼堂々何者かに襲われる事件が起きる。絶命した館主の手には、砂金で作られた砂時計が握りしめられており――。
 探偵役は僅かな事実を積み重ね続け、犯行のトリック解明に至る。それを皆が集まった場で披露し始めたが……。
 「これ、映ってるの全員共犯ね」
 母はピーナッツを頬張りながら断定する。
 「えっ、なんで?」
 「女の勘。というのもあるけど、この豪華なキャストがその他大勢というのが不自然、というメタな見方もあるけど。
  本道で言うなら、それぞれ目的は違うけど、館主を亡き者にしたいという手段は全員がとる必要があったからだと思うね」
 一つの目的を叶えるために用意できる手段は一つだけとは限らない、父が良く口にしているが、そういうパターンもあるのか。
 僕ら将棋部ではどうだろう。
 僕、美月、泉西先生。将棋部を存続させたい理由は異なっているかもしれないが、一枚岩となり、結果としてそれぞれの目的を果たせるだろうか。
 テレビの中では、探偵役が推理を話し終えたところだった。
 一同は口々に絶賛を述べるが、その表情は一様にどこか自然さが微妙にズレたもので、画面越しなのに鳥肌が立つ恐怖を感じた。
 ここは絶海の孤島。このことを知るものはここにいる者のみ。即ち、第三者がいなければどんな事実も虚構になり、虚構さえ事実になる。
 登場人物の一人がわざわざそんなことを言葉にしはじめ……暗転。続きの後編は、なんと半年後のようだ。

 

 小説『Sum a Summer =総計の夏=』(5/5)に続く