総村と作曲工程
おつかれさまです、総村悠司です。
今日は『総村と作曲工程』についてです。
説明に時間や文字数が必要であることもあって、便宜上、「作曲」とか「曲を作る」とか表現することがほとんどになってしまっているのですが、頭の中では少し違ったとらえ方をしています。
せっかく、ブログを始めたのですから、今日はゆっくりと文字数を掛けて書いてみたいと思います。
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いきなり例え話になってしまい恐縮ですが、「ひらがな二文字の名前」を取り上げて、考えてみます。
ああ、あい、あう、あえ、あお …… んわ、んを、んん
ひらがなの全ての組み合わせを試したとき、そこには多数ですが有限の集合が元々存在しているわけです。
しかし、「名前」として採用できそうなものと、できなさそうなものに何となく二分されます。名づけ親が、推考を重ねて決定した場合であっても、閃きで即決した場合であっても、「元々存在していたものの中から選択した」という別のとらえ方ができそうです。
曲に関しても、その構成要素が多いものの、有限の集合であることに変わりはありません。(それゆえ、楽譜によって表現・再現できる)
ですから、簡単に「曲を作る」という言葉を置き換えるとするならば、「曲を発見する」、うーむ違うか「曲をこの世に召喚する」という表現が近いかなと思います。
作曲や編曲のとき、総村もピアノやキーボードを前にして「こうかな?」「こっちかな?」と試行錯誤をしているわけですが、真の姿を正しくとらえて顕現化させないと、せっかく召喚したのにもかかわらず、何となく不完全な気がしてしまう……そんな感覚なのです。
世の中のクリエイターさん達はどんな感覚なんだろうなぁ。試しに、「作曲 召喚」とか「ものづくり 召喚」と検索してみましたが、同志は見つかりませんでした(苦笑)。気長に同志が現れるのを待ちたいと思います。
以上、今後ともよろしくお願いします。