総村スコアブック

総村悠司(Sohmura Hisashi)の楽曲紹介、小説掲載をしています。また、作曲家・佐藤英敏さんの曲紹介も行っております。ご意見ご感想などはsohmura@gmail.comまで。

小説『All gets star on August =星の八月=』(4/4)

 【第四章】 星

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  ほし【星】〔名〕…期待され、もてはやされる人。花形。スター。

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 眼が覚めて、寝床の感触に違和感を感じる。数秒のち、そうだ今は合宿の二日目だったのだと思い出す。
 そうだ、美月は? 跳ね起きると、「おはよう」そんな声を窓際から聞いた。
 首を捻ると、そこには既に水色のワンピースに着替えている美月の姿があった。手にはコーヒーカップを持っている。
 「具合はどう?」
 「ん? 良好だけど?」
 そうか、コーヒー飲みまくったことは引継ぎ対象外だったんだな……。まぁ、無事なら問題ないけど。
 時計を見ると、時刻は8時だ。僕は布団を(自分なりに)丁寧に畳み、美月の向かいの椅子に腰掛けた。
 そして、昨日のメモを手にしながら、ざっくりと昨日のできごとと出会った人物のことを伝えた。
 本当は、もっと感情も織り交ぜて詳細に伝えたい気持ちもあったが、それを今日の美月に言うことに大きな意味はないと思えた。
 全く目処など経っていないが、いつの日か、語るべき機会があったとき、それは伝えよう、そう思った。
 一応、最低限の情報は伝えたられたものの、僕の方で写真などの画像は無しだ。風雷庵で閉じ込められる直前くらいまでは、昨日の美月がいくらか写真に収めていたようだが。
 少々不安ではあるが、そこはこれまでを何事もないかのように切り抜けてきた、美月先生のスキルに期待するしかない。
 「さて、どうしようか。チェックアウトは10時だからまだ余裕があるけど」
 今日の美月はまだ温泉を体験していない、長湯はできないがそういう時間の使い方もありだろう。
 しかし、「温泉はいいや」「どうせなら、庭園がいいかな」という回答だった。
 昨日といい、美月はけっこう自然が好きなのかもしれない。僕たちが暮らしている街の自然はどうにも人工的だ。
 今度、少し離れた自然が豊かなところに遊びに行く計画でも立ててみようか、そんなことをぼんやりと思った。
 鍵をかけ、僕たちは庭園に向かった。
 
 昼間の庭園に降り立つのはこれで2度目になるが、昨晩の七夕祭を見た後だとそれまで抱かなかった簡素さや侘しさを感じるようになっていた。
 ゆっくりと、石でできた道の上を歩く。耳を澄ませば、どこかで鳴っている獅子おどしの音やカメの飛び込む音が聞こえる。
 道沿いに、昨日は気づかなかったのか、細い道を見つけ、僕は美月を呼んだ。
 「こっち、行ってみよう」
 その先に、僅かに屋根のようなものが見えたのだ。ゆっくりとは言え、少し体温が上がってきた。日陰で少し休憩でもしようかと、奥に進むと、
 「小僧と小娘か。妙なところで会うな」
 東屋の中から現れたのは、三冠だった。昨日、風雷庵以来の再開だ。
 三冠は眼を細めながら、美月の様子をじっと観察していた。
 はっと人目を引く容姿を持つ美月だが、どうも三冠の視線はそういった類のものではなさそうに見えた。
 「どんなカラクリなんだ?」不意に呼びかける。
 カラクリ? 一体どういうことだろうか。
 「あの記憶量は、明らかにただ頭がいいというだけでは説明がつかんからな……」
 記憶量……。風雷庵で美月が行動の説明をしたときのことを言っているのだろう。念には念を入れたかったとはいえ、あれは確かに目立ち過ぎたか。
 背中に一筋の汗が流れる。
 三冠は懐から扇子を取り出すと、パチ……パチ……と音を立て始める。
 「まあいい。非凡の才を持つ小娘と、オレに苦杯を味わわせた小僧か。久しく無かった興を提供した褒美にオレが一ついいことを教えてやろう。
  将棋で勝ちたいか? 連戦連勝、美しい手順で、勝ちたいか?」
 僕に扇子の先端を向けた後、パチンと一つ音を立てる。
 将棋で勝つ。それは、将棋を指す者に共通する望みだ。佐波九段や冷谷山三冠のように指せたら、それは夢のような話だ。
 僕は小さく頷く。それをみて、三冠は続けた。
 「オレは、脳のほぼ全ての領域を自在に使えるんだ」
 ニンゲンは、脳細胞のほんの一部しか使われていないと聞いたことがある。
 しかし、それが一体何を意味するというのか。
 異常なまでの強さ。そして、シナリオがあるかのような勝敗劇。僕の脳裏にあるイメージが〈リープ〉してきた。
 「もしかして……」
 「勘だけは非凡なようだな、小僧。オレの頭の中には、実現可能な棋譜が全て納まっている」三冠はこめかみを人差し指で指し示しながら、不敵に笑う。
 「無論、情報の圧縮やインデックス化といった加工をし、類似形やゴミのようなものは無駄だから納めてはいないがな。要するに――」
 「……考えていたのではなく、棋譜を再生していただけ、と言いたいんですか」
 「物分りがいいな。昨日の一件もまぐれというわけじゃないようだ」台詞を横取りしたにも関わらず、三冠は満足げな様子だった。
 もし、話が本当ならば、勝敗を操作することは造作も無いことだろう。
 そう、わざと3勝3敗のフルセットにした末、最終地の五稜亭旅館で圧勝をしてみせる離れ技を3回もやることさえ。
 今の僕だからきっと、その告白を正しく理解して、信じて、受け止めることができた。
 高校に入るまでの――美月や泉西先生に出会う前の――僕だったら、そんなニンゲン離れした能力など、到底信じることのできなかっただろう。「嘘だ」と叫んでいただろう。
 そして、小学生の――将棋に夢中になって明け暮れていた――僕だったら、『将棋というゲームはもう、終わってるんだよ』という告白なんて受け入れられなかっただろう。
 しかし、僕の心中はとても動揺していた。先日、将棋を大嫌いだと言い放ったとき以上に。
 「……そうして勝って、嬉しかったですか」
 「嬉しかったか、だと? 憶えていないな。優秀さの証明にはなっただろうがな。
  神の棋譜庫には想い出やら何やら不要なものは一切保存していないからな。
  どうした? 変な顔をしているが。オレのように強くなりたくないのか?」
 僕はどんな顔をしていただろう。泣きそうな表情だったかもしれないし、哀れみの表情を浮かべていたかもしれない。
 「総じて、天才とは異質なものだ。多くの凡人は天才になりたがるが、異質なる者、畏怖される者は御免だなどと勝手をぬかす」
 そして、今度は美月に扇子の先端を向け、同じように音を立てる。
 「天才の思考は、天才にしか理解できぬものだ。小娘、お前なら分かるだろう?」
 「……」美月は答えない。
 「容易には懐かんか。まあ、いい。いずれ分かるであろう。その小僧にお前の全てを受け止めるキャパシティはない。
  オレは意外に寛容なんだ。お前が、自らの足でオレの元にやってくることを心待ちにしているぞ」
 そういうと、三冠は僕たちの脇を通り過ぎ、そのまま去っていってしまった。
 
 チェックアウトをつつがなく済ませ、やって来たときと同じような青空の下、僕たちは再び潮風に吹かれていた。
 違うのは、持ち帰る荷物の量と、船着場にいる人たち。そして、扱いも……。
 「彦、姫。来夏もきっと遊びに来るんじゃぞ」
 昨日の七夕祭の後から、僕たちは何故か旅館の人たちに彦、姫と呼ばれるようになっていた。
 恐らく、姫というのは美月が織姫をやったからだと思われる。僕の方の彦は彦星を意味しているのだろうが、便宜上という雰囲気がひしひしだ。情けないことだが。
 「ホント。来年の七夕祭もやってちょうだいよ? あんな織姫見せつけられたんじゃ、もう来年以降やる自信ないわ……」沙羅さんが手をひらひらとさせておどけてみせる。
 「山側の青龍も良い景色でお勧めでございますよ」
 「ここらは、夏以外の食材もなかなか絶品ですぜ」
 チェックアウトとチェックインの間の忙しい時間のはずなのに、わざわざ高校生2人のためにこうして見送りに来てくれたのだ。本当に嬉しいことだ。
 僕は、左手にバッグ、右手にお土産の五稜温泉饅頭(五稜星の形をした、もみじ饅頭とちょっと似た温泉饅頭)2箱の入った紙袋を下げて頭を下げる。
 間もなく出港となる。タラップを渡ろうとしたとき、御前さんが杖をつきながら近づいてきた。ちょいちょい、と耳を貸すようにとジェスチャーをする。
 「実はな……昨日の問題でアタシが用意していた答え。あれは、本当は秋一の言った方が正解だったんじゃ」御前さんが僕の耳元で呟いた。
 「……やっぱり、そうでしたか」それは、僕にとっては意外なことではなかった。
 無理やりこじつけたような僕の答えより、三冠の答えの方が圧倒的にピースが綺麗に埋まっている感じはしていたのだ。
 それでも、あんな状態であの場を解散にしたくない、その想いだけが暴走して思いついたことをつらつらと述べてしまったのだ。
 「あ、でも。線が赤かったのは何か意味があったんですか?」
 「ありゃ、〈封じ手〉の趣向だったんじゃ。一応、〈管理室〉の金庫にも同じものを入れたりしとったんじゃが」
 なるほど。確かに、将棋の〈封じ手〉は赤い色で手を記入したり、立会人と金庫に一通ずつ同じものを保管するなどの手続きがある。
 「もともと『あの5人が、協力して、生きていって欲しい』それが起点で考えた問題だったんじゃ。だからこそ、あの時は彦の答えを正解にしたんじゃよ。
  角度と体温が約36度とは恐れ入ったがねぇ!
  いいかい。単なるマルなんてものは、知識があればもらえることもあるさ。でも、出題者の意図を真に理解しようと思わない限り大きな花マルはもらえないんだよ」
 その言葉を聞いて、僕は何故か泉西先生と以前した会話を思い出していた。
 
 「あんなメタな視点の問題、アリなんすか? 泉西先生も答え分からないでしょ」
 「うん。だから、ちゃーんと文章になってれば全員丸だぜ。問いに対して何にもレスポンスをしないヤツは社会で生きていけないぜ~、という、実は俺からのありがたい処世術伝授問題なのだ!」
 
 あのときはふざけた話だと、はなから決めて掛かっていたが、今改めて考えてみるとその意味するところが少しは理解できた気がする。
 「どうしたんだい?」
 「えっ、あ、あぁ。ちょうど、今回来られなかった顧問の先生が似たようなことを言っていたような気がしたような気がしまして……」
 「まぁ、いい先生じゃないか」
 「いやいや! 本当に、そんなことないんです! いつもいつも困らされていて、どっちが教師なんだか分かったモンじゃないんです。この間だって――」
 「そうかそうか。なら、やっぱりいい先生じゃないかい」
 そのとき、船のエンジンが掛かった。出港は近い。いろいろあった合宿もこれでおしまいだ。
 船がゆっくりと離れていく。だんだんと、声も届かなくなっていく。大きく手を振ることで、船着場にいる人たちに精一杯別れを惜しむ気持ちを伝えた。
 やがて、その姿も見えなくなり、やがて、子牛島もついには見えなくなった。
 隣には美月。美月は眼を閉じている。今日の美月は、今、何を考えているところだろう。

 そういえば、七夕祭の最後。揺れた美月の短冊には何の字も書かれていなかった。美月は、字を書いた振りをしていただけということになる。
 豪奢な和服を着ていたから、わざわざ字を書くのが大変だったのかもしれない。
 あるいは、願い事を読まれるのが恥ずかしくて、抱いていたものを文字に表さなかったのかもしれない。
 普段の美月の性格からしたら、『願いなんて全部自分の力でどうにでもできるよ』という強い意思表示だったのかもしれない。
 でも、もし。
 仮に、僕が全て満足している幸せなときや、今後願いが叶う見通しがあるときに「願いごとはなんですか?」と問われとしたらどうだろう。
 「願いごとは、ありません」と答えるんじゃないだろうか。
 あのときの答えを知る出題者は既にこの世にいない。そもそも、問題というものでもなく、一方的に問題にしてしまったようなものだ。
 だから、僕は自分なりに思い描いたその答えは、今日は無理でもいつかは、美月に回答したい。その時は、花マルがもらえるといいけれど。
 水しぶきを上げながら進む船の上には、来たときと同じような青空が水平線の彼方まで広がっていた。

 

 小説『Fall on Fall =俯瞰の秋=』に続く